小津安二郎の映画に『生まれてはみたけれど』や『大学は出たけれど』という「although」シリーズとでも言うべきものがあります。これに倣えば、光源氏の場合はさしずめ「結婚してはみたけれど」といったところでしょうか。

 心のうちには、ただ藤壺の御ありさまを、たぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。

 ぼく、お父さんに言われるままに結婚してはみたけれど、どうも藤壺のおばさまのほうが素敵で忘れられない。結婚するなら、やっぱりああいう人のほうがいいなあ。葵さんは器量は申し分ないし、大切に育てられた上品な女の人ではあるんだけど、ちょっと堅苦しいっていうか、なんかこうしっくりこないんだよなあ、と継母である藤壺のことばかりを一心に思って苦しんでいます。おいおい、おまえ12歳になったばかりだろう、しかも数えで。光源氏の将来は早くも前途多難です。

 この後、光源氏と葵の上の結婚生活は10年に及びます。最後までしっくりいかない夫婦だったようです。なんといっても源氏の心には常に藤壺のことがありますからね。六条の御息所という年上の女性との仲も腐れ縁みたいなかたちでつづいています。正妻である葵の上にしてみれば、心休まることのない10年間だったかもしれません。その夫婦にようやく子どもが生まれます。難産の末に誕生した男の子は夕霧と呼ばれることになります。
 少し先の『葵』の巻で、産後でやつれた葵の上を源氏が見舞うシーンがあります。やさしい言葉をかけた源氏はみずから葵の上に薬湯を飲ませます。宮中に出かけるために立ち去ろうとする源氏を、葵の上がじっと見ている。「常よりは目とどめて見出して臥したまへり」と作者は書いています。「いつもとは違って」とは、いわゆる虫の知らせというやつでしょうか。葵の上はじっと目を注いで源氏を見送ります。
この直後に彼女は亡くなります。まるで嫡子を残したことで、自分の役目は終わったとでもいうかのように。亡き妻を偲んで源氏が詠んだ歌。

君なくて塵積りぬるとこなつの露うち払ひいく夜寝ぬらむ

 あなたが亡くなってから、塵の積もってしまった床で涙を拭いながら、寂しい一人寝を幾夜重ねたことだろうか、というほどの意味でしょうか。よほど寂しさが募ったのでしょうか、このあと源氏は養女のようにして育ててきた若紫と男女の契りを結んでしまいます。やれやれ。

 いつまでも『桐壺』でぐずぐずしているわけにはいかないので、第二巻(二帖)『帚木』に進みましょう。源氏は17歳、4歳年上の葵の上と結婚して5年になります。先にも述べたように、二人のあいだは疎遠です。当時の正妻とはそういうものだったのでしょうか。舅である左大臣家にはたまにしか顔を出さず、内裏の住まいで過ごすことが多い。
 梅雨の長雨の夜、源氏は宮中で宿直をしています。物忌みで外に出られないということになっているんですね。「モノイミ」というのは、現代のぼくたちには実感としてわかりにくいものですが、当時は宮中でも個人の家でもよくやっていたようです。異変、凶兆、死穢、方角の禁忌など、いろいろな理由から外に出ない。身を清めて家に閉じこもり、魔物や不浄が通り過ぎるのを待っているんですね。簾を下ろして「物忌」と記した札を付けておいたりもしたようです。

 光源氏の場合は、物忌みを口実にして宮中に長逗留しているふしがあります。正妻のところへ帰りたくなかったんでしょうかね。左大臣家では源氏の態度を恨めしく思いながらも、早く来てくれないかと気を揉みながら待っています。新調の衣装や持ち物などを届けさせて婿殿に気を遣っている。ところが当人は、ちっとも意に介せず勝手気ままにやっている。

 そんなある夜、左大臣の息子で源氏とは義兄弟にあたる頭中将、恋の経験が豊富な左馬頭、藤式部丞が集まって、有名な「雨夜の品定め」がはじまります。「いと聞きにくきこと多かり」と作者は書いています。『源氏物語』の語り手は宮中に仕える女房という設定なので、彼女たちからすれば「男が四人集まって勝手なことばかり言っている」ということでしょう。その勝手な女談義が進んで「中流の女性こそ魅力的」という結論に至ります。
 「品(しな)」とは身分や家柄のことです。「中の品になん、人の心々おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき」(中流の女のほうが個人差があって面白いでしょうなあ)と言っている頭中将は、左大臣家の長男だから上流階級の人間です。それを受けて中の位、受領階級の男である左馬頭が蘊蓄を垂れます。

 さて世にありと人に知られず、さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひの外にらうたげならん人の閉ぢられたらんこそ限りなくめづらしくはおぼえめ、いかで、はたかかりけむと、思ふより違へることなん、あやしく心とまるわざなる。

 人が住んでいようとも思われない、雑草の生い茂るような寂しい荒れ果てた家に、思いもよらない可憐な人がひっそり引きこもっているような場合は、とても珍しく感じることでしょう。どうしてこんなところにこんな人がと、あまりにも意外なので、不思議と心が惹きつけられてしまいます。
 女たちからすれば「いと聞きにくきこと」であるはずの左馬頭の一言が若い源氏の心を刺激します。「中流の女性って、そんなに素敵なのかなあ。」上流の世界しか知らない彼は、自分も「中の品」の女性と恋をしてみたいものだと思うのです。

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投稿者: 片山 恭一

ぼくらラボ設立者 小説家。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。2001年4月に出版された「世界の中心で、愛をさけぶ」が若者から圧倒的な支持を得、文芸書としては異例のロングセラーとなる。

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