藤壺は懐妊します。帝の后を、その実子である光源氏が妊娠させてしまったのです! なるほど、戦前に『源氏物語』が不敬の書とされたはずですよね。

 宮も、なほいと心うき身なりけり、と思し嘆くに、なやましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使しきれど、思しも立たず。まことに御心地例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、人知れず思すこともありければ、心うく、いかならむとのみ思し乱る。

 藤壺は体調がすぐれないので里に下がっていました。「なほいと心うき身なりけり」(まことに情けない身の上であったことだ)と彼女が悲嘆に暮れているのは、忍んできた源氏を彼女は拒み切れなかったからです。「なやましさもまさりたまひて」(心身の不快がいっそう増大して)いるのは、後に明記されるように、源氏の子を身ごもったからです。宮中からは早く参内なさいとのお使いがしきりに来るけれど、とてもそういう気持ちになれません。「例のやうにもおはしまさぬ」とは悪阻のことでしょう。通常、妊娠5週目ごろから起こるようです。少なくともそのころに源氏との密会があったことになります。本人も「人知れず思すこともありければ」(心ひそかに思い当たることがあったので)と認めています。そして「いかならむ」(これからどうなるんだろう)と思い煩っているわけです。

 さて、妊娠も3か月を過ぎて、さすがに人目にもつくようになりました。女房たちは帝の子と思っているので、どうしてもっと早くお知らせしなかったのだろうと怪しんでいます。「わが御心ひとつには、しるう思し分くこともありけり」とあります。藤壺には源氏の子であることがはっきりとわかっているのです。懐妊の真相を知っているのは、本人の他には密会の手引きをした王命婦(王族出身の命婦)ただ一人です。

 その命婦の心情を、「なほのがれがたりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ」と作者は書いています。「宿世(すくせ)」とは前世からの因縁といった意味の仏教用語です。「前の世の定め」という考え方は、『源氏物語』全編を通奏低音のように流れています。「あさまし」はどう訳せばいいでしょう? 相応するいい現代語が見当たらないのですね。「呆れはてている」(円地訳)、「呆れ恐れるばかり」(瀬戸内訳)と、いずれも命婦の主観が強く出過ぎている感じがします。「驚いていた」(与謝野訳)くらいが、かえっていいかもしれません。

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投稿者: 片山 恭一

ぼくらラボ設立者 小説家。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。2001年4月に出版された「世界の中心で、愛をさけぶ」が若者から圧倒的な支持を得、文芸書としては異例のロングセラーとなる。

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