「夕顔」や「葵」で物の怪のシーンを読んでいると、レヴィ=ストロースが「呪術的効果」と呼んでいるものが想い起こされます。『構造人類学』のなかで、彼は呪いや呪詛によって実際に人が死ぬということがどういった心理・生理的メカニズムによって起こるのかを、カノン(W.B.CANNON)という人の研究に依りながら述べています。少し長いけれど引用してみましょう。

 自分に対して呪いがかけられていることを意識した個人は、その所属する集団のもっとも厳粛な伝統によって、自分が死を免れないことを確信し、親族や友人たちもこの確信をともにする。このときから、共同体は彼に対してその殻を閉ざす。すなわち、人々は呪われた者から身を遠ざけ、あたかも彼がすでに死んでいるばかりでなく、周囲のみなにとって災いのもとであるかのように、彼に対してふるまうようになるのである。社会全体は、機会あるごとに、そのすべての行動によって、不幸な犠牲者に死を示唆するのであり、犠牲者は、彼が不可避の宿命とみなしているものを、もはや免れようともしない。そしてやがて、彼のために神聖な儀式がとりおこなわれ、彼はその儀式によって死者の国に送りこまれてしまうのである。(田島節夫訳)

 同じことが『源氏物語』のなかでも起こっています。たとえば葵の上に物の怪がとり憑いているという噂が立つ。彼女に仕えている女房たちは、源氏が足しげく通っている女の生霊ではないかと憶測している。すると本人も自分に呪いがかけられていることを悟り、実際に衰弱していく。さらに病人は加持祈祷などの修法を受けることで、自分が「呪われた者」であることを繰り返し示唆されます。夫を含めた近親の者たちは、徐々に女君の死は避けられないかもしれないと考えはじめる。こうして「犠牲者」は死者の国に送り込まれてしまうのです。

 さらにレヴィ=ストロースはこんなことも言っています。「カノンが示したところでは、恐怖は激怒と同じく、交感神経系のとくに激しい活動を伴う。(中略)交感神経の活動は増幅してついには解体し、これが時にはほんの数時間のうちに、血液の量の減少とこれに伴う血圧低下の原因になって、その結果、循環器系はとりかえしのつかない損害を蒙る。」現在の免疫学からするとやや不正確な点はあるかもしれませんが、80年近くも前の論文(カノンの論文は1942年のもの)で、すでに呪術と交感神経の緊張を結び付けている慧眼に驚かされます。

 呪術的効果なるものは、人類が過去において例外なく通過してきた文化や習俗というよりは、もっと普遍的かつ現代的なものと考えたほうがいいのかもしれません。いまの言葉でいうと「ストレス」でしょうか。およそぼくたちの暮らしにかかわることで、ストレスとして、なんらかの呪術的効果を含まないものはないと言っていい。たとえば「がん」と宣告されただけで、多くの人が強いストレスを感じます。末期のがんともなれば、現代医学による標準的な治療自体が、それに照準を合わせたものになってくる。こうしてだいたい医者が告げた「余命」どおりに、患者が死んでしまうことが多いようです。

 こうした呪術的効果が強くあらわれるのは、一つの共同体が閉じている場合です。つまり、ある社会なり空間の密室性ということになります。『源氏物語』の系図を見てください。どの系図を見ても、そこに登場するのは、せいぜい五十人くらいです。なかでも主要な人物は十数人でしょう。しかも摂関政治の時代ですから、ほとんど血縁関係や姻戚関係で結ばれています。一夫多妻妾制の習俗のもとで、天皇のまわりには第一夫人の他に、たくさんの女御や更衣が侍っている。彼女たちを出仕させている家族は、娘になんとか帝の皇子を産ませたいと考えている。そうした非常に狭く密閉された世界を、物の怪は跳梁するわけです。

 現代医学も、この点は同じだと思います。お医者さんはみんな高学歴で、ちゃんとした医学教育を受けた人たちです。ぼくが知るかぎり、誠実で良心的な人が多い。しかし彼らが受けてきた教育は制度的なもので、みんな同じことを習っている。とくに自分の専門については、保険の問題などもあって、ほぼ同じ治療しかできないことになっている。自分で考えたり試したりという余地は、ほとんどないと言っていいでしょう。つまり現代医学そのものが、平安時代の内裏と同じように、非常に閉ざされたものになっていると思います。当然、強い呪術的効果が働くことになります。

 先のコロナ禍では、COVID-19と呼ばれる新型のウイルスが物の怪のように世界中の人々に取り憑きました。社会はまさに跳梁する物の怪のような新型ウイルスに怯えきってしまった。これはぼくたちの社会が、インターネットの普及などによって、平安時代の宮中や後宮と同じように閉じてしまっているからでしょう。ワクチンなどもずいぶんもてはやされましたが、ぼくには加持、祈祷とあまり変わらないものに思えます。生成AIが華々しく登場するなかで、現代社会が抱えている迷妄の度合いは、『源氏物語』の時代とほとんど変わっていないのかもしれません。

アバター画像

投稿者: 片山 恭一

ぼくらラボ設立者 小説家。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。2001年4月に出版された「世界の中心で、愛をさけぶ」が若者から圧倒的な支持を得、文芸書としては異例のロングセラーとなる。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

シェア Twitter