作品に数多く登場する女性たちのなかでも、とりわけ藤壺は鮮烈な印象を残します。ジャンヌダルクみたいに華々しい活躍をするわけではない。むしろ静かに自分の運命を受け入れ、耐えて、死んでいくという印象です。桐壺帝が溺愛した更衣の死後、亡くなった更衣にそっくりだということで、新しい女御として入内し、継子と継母の関係にある源氏に眷恋された挙句、密通によって懐妊、不義の子を産み、そのことに苦しみながら、言い寄る源氏を拒みつづけ、出家によってわが子を守り、最後まで重い秘密を抱えたまま死んでいく。

 彼女は自分の内面をほとんど表白しません。源氏を愛しているのか憎んでいるのか、少なくとも表面からはわからない。彼女の歌のなかに、遠まわしに気持ちや心情が表現されているに過ぎない。それなのに藤壺という女性は、読者のなかに忘れがたい印象を残します。たとえば「紅葉賀」で、光源氏が頭中将と二人で『青海波』を舞う姿を見て贈る藤壺の歌などは、心に深い含みを感じさせます。その一方で、源氏の無軌道な振る舞いにたいする、か弱いように見えて、芯の強い拒絶の仕方。こういうところから、藤壺という女性は、たしかな存在感をもって『源氏物語』という作品の品格を支えています。

 とりわけ、ぼくみたいに実際に小説を書いている者からすると、藤壺というのは非常に魅力的なヒロインに思えます。近代文学ではなかなか書けなくなっているんですね、こういうタイプの女性は。どうしても個人の自我みたいなものを描かないといけなくなっている。そのぶん個としての主張が強くなってくる。ドストエフスキーの『罪と罰』のソーニャとか、トルストイのアンナ・カレーニナとか、それぞれ魅力的な女性ではありますが、藤壺が備えている不思議な存在感とは異なります。

 光源氏と藤壺の密通についても、具体的なことは何も書かれていない。たとえば密会の手引きをした藤壺づきの女房、王命婦がこんな歌を詠みます。

見ても思ふ 見ぬはたいかに嘆くらむ こや世の人の まどふてふ闇(「紅葉賀」)

(二人のあいだに生まれた不義の子を)見て思い悩む藤壺と、見ることができなくて思い悩む源氏、これこそ人の世の心の闇と言うべきだろう。

 こんなふうに第三者の目を通して知らされる二人の苦悩する姿だけで、彼らのあいだに何があったかわかるようになっている。それは作品の背景に、隅々まで厳格な規則や禁忌が張り巡らされるからでしょう。

 まったく背景を異にする近代小説では、こういう含みをもった書き方はできなくなっています。起こったことは起こったこととして、リアルに描かなければならない。これを書かないと小説として成立しない。いわゆる写実主義ってやつです。読者のほうも「なんだ、肝心なことが書かれていないじゃないか」と不満に思ってしまう。なんでも見たいし、なんでも見せなくちゃならない。近代の病と言ってもいいかもしれません。

 ぼくが読んだなかでは、バルザックの『谷間の百合』に出てくるモルソフ夫人(アンリエット)が、いちばん似ている気がします。『源氏物語』は光源氏の生涯の物語であり、彼がかかわりをもった女性たちの物語ではありますが、この時代の社会病っていうか、怨霊に取り憑かれた人々(宮廷の人々)を丹念に描いています。彼らは神を祀り、神の近くで暮らしていました。そして絶えず生霊や死霊を恐れ、苦しめられていた。それは紫式部が生きた時代に残る、古代性と言ってもいいかもしれません。

 『谷間の百合』のアンリエットも、キリスト教の戒律にとらわれ、神を恐れながら生きています。ナポレオンの時代のフランスは、日本の平安時代みたいなものだったのでしょうか。アンリエットの夫・モルソフ伯爵は無能で疑り深く、偏狭・偏屈な人物です。二人はけっして愛情の通い合った夫婦ではありません。にもかかわらず、アンリエットは夫に忍従しながら彼を支え、二人の子どもたちを懸命に育てている。

 彼女に想いを寄せる青年・フェリックスは、アンリエットを神のように崇拝している。母親に愛されることのない辛い幼少期を体験してきた彼は、実の母親から得られなかったものをアンリエットに求めているのかもしれない。このあたりも、光源氏と藤壺の関係に似ています。とてもいい小説ですので、興味のある方は、ぜひお読みになってください。

 もう一つ、明らかに『源氏物語』の光源氏と藤壺の関係をなぞっていると思われるのは、三島由紀夫の『春の雪』です。これもぼくの好きな小説ですので、ちょっとご紹介してみましょう。

 主人公の松枝清顕は講釈の息子で、幼いころに綾倉伯爵の家に預けられていました。そこの娘である聡子とは、幼馴染ということもあって、とくに恋愛感情みたいなものはありません。ところが二十歳くらいのときに、聡子に宮家との縁談が持ち上がる。このころから二人の関係は深まって、とうとう聡子は妊娠してしまいます。すでに宮内庁からは結婚にたいする勅許が降りていますから、松枝・綾倉両家とも大慌てで、なんとか大阪の名医に妊娠の始末をしてもらう。

 その帰り、聡子は母親と京都の尼寺の門跡になっている大伯母に会いにいく。母娘で寺に泊まった翌朝、聡子は剃髪を願い出て、尼僧になる決意をします。驚愕した松枝・綾倉両家は、聡子の還俗を願うのですが彼女の心は変わらない。当然、宮家との結婚は破談になり、清顕は聡子に会いに行くが、本人は会おうとせず、門跡も会わせません。

 数日後、清顕は肺炎になり、電報を受けた親友の本多が京都に駆けつけ、寺を訪れて二人の面会を頼むが、門跡はこれを拒否します。清顕は本多とともに東京へ戻り、数日後に亡くなる。
 一般的には、現代語訳まで残した谷崎潤一郎の『細雪』が、『源氏物語』の影響が強いと言われていますが、この『春の雪』も、三島由紀夫が書き遺したもう一つの『源氏物語』、とりわけ藤壺と光源氏の物語だと思うのです。

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投稿者: 片山 恭一

ぼくらラボ設立者 小説家。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。2001年4月に出版された「世界の中心で、愛をさけぶ」が若者から圧倒的な支持を得、文芸書としては異例のロングセラーとなる。

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