葵の上の死によって、季節がひとつ進むかのようにして、源氏はひそかに育ててきた紫の上と新枕をかわします。源氏が寄る辺のない身となった若紫を略奪するようにして引き取るのは、彼女はまだ10歳くらいのときです。一方の男君は18歳。

 あれから4年の歳月が流れ、幼かった姫君も14歳になっている。元服(12歳)した源氏の妻になった葵の上よりも2つ下、年齢的にもつり合いがとれています。しかも正妻(葵の上)は亡くなり、長年の愛人であった六条御息所は、この世への未練を断ち切って娘について伊勢へ下る決心をする。乱暴な言い方をすれば、邪魔者はいなくなったわけです。

 しかしいくらお膳立てが整っても、女君の気持の準備はできていない。それまでは父親のように慕っていた源氏が、突然、男の相貌を剥いてやって来たわけですからね。若紫としては裏切られたような気持ちだったかもしれません。そのあたりのニュアンスが、原文にはよく出ています。

 つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち、偏つぎなどしつつ日を暮らしたまふに、心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなき戯れごとの中にもうつくしき筋をし出でたまへば、思し放ちたる月日こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍びがたくなりて、心苦しけれど、いかがありけむ、人のけぢめ見たてまつり分くべき御仲にもあらぬに、男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬあしたあり。人人、「いかなればかくおはしますらむ。御心地の例ならず思さるるにや」と見たてまつり嘆くに、君は渡りたまふとて、御硯の箱を御帳の内にさし入れておはしにけり。人間に、からうじて頭もたげたまへるに、ひき結びたる文御枕のものにあり。何心もなくひき開けて見たまへば、

 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を

と書きすさびたまへるようなり。かかる御心おはすらむとはかけても思し寄らざりしかば、などてかう心うかりける御心をうらなく頼もしきものに思ひきこえけむ、とあさましう思さる。(「葵」)

 つれづれな源氏は西の対にばかりいて、姫君と偏隠しの遊びなどをして日を暮らした。相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭の良さは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のように愛撫して満足ができた過去とは違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって、心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があった。女房たちは、

 「どうしてお寝みになったままなのでしょう。御気分がお悪いのじゃないかしら」

 とも言って心配していた。源氏は東の対へ行く時に硯の箱を帳台の中へそっと入れて行ったのである。だれもそばへ出て来そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕の横にあった。なにげなしにあけて見ると、

 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を

 と書いてあるようであった。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もしても見なかったのである。なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けなくてならなかった。(与謝野晶子訳)

 することもなく、光君は西の対で碁を打ったり、文字遊びをしたりして日を過ごしている。利発で愛嬌のある紫の姫君は、なんでもない遊びをしていても筋がよく、かわいらしいことをしてみせる。まだ子どもだと思っていたこれまでの日々は、ただあどけないかわいさだけを感じていたが、今はもうこらえることができなくなった光君は、心苦しく思いながらも……。

 いったい何があったのか、いつもいっしょにいる二人なので、はた目にはいつから夫婦という関係になったのかわからないのではあるが、男君が先に起きたのに、女君がいっこうに起きてこない朝がある。

 「どうなさったのかしら。ご気分がよろしくないのかしら」と女房たちが心配して言い合っていると、光君は東の対に戻ろうとして、硯箱を几帳の中に差し入れていった。近くに女房がいない時に、女君がようやく頭を上げると、枕元に引き結んだ手紙がある。何気なく開いてみると、

 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を

 とさらりと書いてある。光君が、あんなことをするような心を持っていると紫の女君は今まで思いもしなかった。あんないやらしい人をどうして疑うことなく信じ切ってきたのかと、情けない気持ちでいっぱいになる。(角田光代訳)

 いちばん古い与謝野晶子訳と、いちばん新しい角田光代訳を挙げてみました。一読して、角田さんの訳が与謝野訳の影響を受けていることがわかると思います。文体が良く似ているのですね。実際、ぼくもいろいろな人のものを読んで、この部分は与謝野訳がいいと思いました。デリケートなところなので、あまり過剰に説明を加えずに、与謝野さんみたいにあっさり訳すほうがいい。もともと原文が微妙なニュアンスを含み持ちながら、よく書けているのだろうと思います。

 言葉の意味について少し説明を加えておくと、「らうらうじく」は利発で。「偏つぎ」は旁から偏をあてて漢字を完成させる遊びだそうです。「毎」から「海」「侮」「悔」などですね。御帳(みちょう)は帳(とばり)、垂れ布、御簾のような当時の建具。これによって寝室や居間を画します。「人間」は「ひとま」と読んで他人のいないあいだに。

 源氏の歌について見てみましょう。「隔てけるかな」は衣を。「夜の衣を隔て」は「契りを交わさない」という意味になります。

 しののめのほがらほがらと明けゆけば 己が衣々なるぞかなしき(『古今和歌集』恋歌三・よみ人しらず)

 褥にいるあいだは二枚重ねて覆っていた衣を、明け方になってそれぞれの身にまとうのが悲しい。そこから「きぬぎぬ」に「後朝」の字を当てて、男女が共寝をした迎えた朝という意味になりました。こんな色っぽい歌を、ときの天皇(醍醐天皇)は「良し」としたわけです。それで国が治まっていたというのはめでたいような、奇怪なような。

 ちなみに源氏の歌、小学館日本古典全集(大島本を底本)では「よるの衣を」となっていますが、岩波文庫(三条西家本を底本)では「なかの衣を」となっています。歌としては前者がずっといいと思うのですが、いかがでしょう?

 本題に戻りましょう。そもそも源氏は藤壺への思慕を断ち切れずに、彼女と容貌が似ている若紫を引き取って理想の女性に育てようとしたのでした。そのうえ若紫の父(兵部卿宮)が藤壺の兄であり、女君は藤壺の姪にあたると聞いてますます執着します。さらに言えば、源氏が継母にあたる藤壺を思慕するようになったきっかけは、彼女が亡き母(桐壷の更衣)に似ていると聞かされたためでした。つまり幼い源氏にしてみれば、藤壺への思慕は、輪廻によって生まれ変わった母を慕っていることと変わらなかった。これが男女の情愛に育っていくわけです。

 成人した源氏の藤壺への想いは、常に禁断の苦渋と不全感に覆われています。それを代償するかのように、藤壺の姪にあたる若紫と契る。したがって若紫と新枕を交わすことは、遠く亡き母である桐壷と契ることでもあったはずです。遂げられない母子相姦の願望が、裏返ったかたちで若紫への父子相姦の願望として遂げられたことになった、と言ってもいいかもしれません。まあ、ちょっとサイコな読み方かもしれませんが。


 とにかく「葵」という帖は、『源氏物語』全編のなかでもことに秀逸な一篇だと思います。葵の上と六条御息所の車争いにはじまり、懐妊中の葵の上に取り憑いた御息所の物の怪の描写、その物の怪と源氏の対面、葵の上の出産と死、さらに紫の上との初枕、というふうに物語はドラマチックに展開します。さらに各場面の描写が非常に見事です。きっとこの時期の紫式部は、小説家として脂が乗りきっていたのでしょうね。

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投稿者: 片山 恭一

ぼくらラボ設立者 小説家。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。2001年4月に出版された「世界の中心で、愛をさけぶ」が若者から圧倒的な支持を得、文芸書としては異例のロングセラーとなる。

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