11 中の品の女をめぐって
『帚木』の後半は、源氏がふとしたことから「中流の女性」である空蝉を見出し、彼女と一夜の契りを結ぶ場面へと進みます。暇を持て余した男四人(源氏、頭中将、左馬頭、藤式部丞)が、宮中で女談義に夜を明かした翌日のことになります。物忌みが明けて、源氏は内裏から舅の左大臣の邸に帰ります。そこには正妻である葵の上がいるわけですが、なんとなく取り澄ましていて打ち解けることができない。ことに「中流の女性」の話を聞いてきたばかりですからねえ。「もっとカジュアルな女がいいなあ」と源氏は思うわけです。
暗くなるころに報せが入ります。「今宵、中神、内裏よりは塞かりてはべりけり」と言っているのは、左大臣家に仕える女房でしょう。「方塞(かたふたがり)」というらしい。物忌と同じように一種の宗教風俗ですね。「中神」というのは陰陽道で吉凶禍福をつかさどる祭神です。この神のいる方角を「塞かり」と称して忌み、「方違え」をします。源氏は「二条院も同じ筋にて、いづくにか違へん。いと悩ましきに」と言っています。二条院は彼の自邸です。そちらも同じ方角にあたっているから帰るわけにはいかない。どこへ方違えしたらいいだろう、疲れていて(前夜は徹夜でしたからね)気分も悪いのに、とぼやいています。こういうところは、まだ少年ですね。
そこで左大臣家に仕えている紀伊守の家に行くことになります。原文には「中川のわたりなる家」とあるのですが、その「中川」がわからない。かつての「今出川」とも「京極川」ともいわれますが、どちらも現在では暗渠になっていて面影はないようです。とりあえず小説では、中川から水を引き入れて涼しそうにしているから行ってみようということになります。紀伊守は受領階級ですから、まさに左馬頭がいう「中の品」です。
紀伊守の家に行ってみると、父・伊予介の家に物忌があって、女たちはみんな紀伊守のところへ来ているという。「女が多いっていいじゃないか」と前向きな光源氏です。まあ16歳ですからね。そのなかに伊予介の若い後妻として空蝉がいます。近衛の中将である源氏の官位は従四位、紀伊守(国司)の官位は従五位か六位といったところでしょうか。しかも相手は臣籍に下ったとはいえ帝の次男である。主の紀伊守は家のなかを走りまわって突然の客をもてなしている。
さて、酒宴も終わり夜も更けました。静かな家のなかで女房たちが源氏の噂をしています。「まだお若いのに、あんな格式の高い家の姫君をお嫁にもらって、さぞかし窮屈な思いをされていることでしょうね。そうなの、だから足しげくいろんな女の人のところへ通っているそうよ。」盗み聞きしている源氏はドキッとする。
思すことのみ心にかかりたまへば、まづ胸つぶれて、かやうのついでにも、人の言ひ漏らさむを聞きつけたらむときなど、おぼえたまふ。
作者はさりげなく書いているけれど、相当に重大なことが述べられているのではないでしょうか。「思すことのみ心にかかりたまへば」とは藤壺のことばかり思っているということでしょう。「人の言ひ漏らさむを聞きつけたらむ」の解釈は難しい。「言ひ漏らさむ」とはなんのことでしょう? 小学館の『源氏物語』では「自分と藤壺の間の秘密を」と註が補ってあります。
光源氏と藤壺のあいだに密通があったことは、このあとの『若紫』で明らかになるのですが、それがいつだったのか具体的なことは書いてありません。『若紫』での光源氏と藤壺の逢瀬は二回目ということになっているので、一回目はその前にあったはずです。それがどこにも書いてないのです。一説によれば『帚木』の前に『かかやく日の宮』という巻があって、朝顔の姫君や六条の御息所のこととともに、藤壺との最初の密通のことが書かれていたという。それを藤原道長か誰かが「おまえ、そりゃまずいよ」と言って省かせた。
『谷崎源氏』でさえ、最初の出版(昭和14年~16年)のときには藤壺関係の部分(とくに『若紫』で源氏が藤壺との密通を果たす場面、藤壺が源氏の子を懐妊したことをめぐってのやり取りなど)を削除しないと出版できなかったくらいです。当時は『源氏物語』そのものが「不敬の書」とされていたんですね。紫式部の時代はもう少し寛容だったのかもしれませんが、さすがに帝の后を犯しちゃう話はまずいでしょう。
それはともかく、この時点ですでに藤壺との密通があったことにして話を進めます。少なくとも小学館版の校註者はそう考えていたようです。その秘密を誰か(藤壺に仕える女房とか不断経をあげている坊主とか)が口外し、噂として広まりでもしたら大変なことになります。いまさらながら「とんでもないことをしちゃったなあ」と思っているわけです。無鉄砲というか無思慮というか、行け行けどんどんの16歳であります。