13 空蝉、光源氏を振り切る
一夜の契りはあったものの、以後、空蝉は源氏の誘いに応じません。かつて帝から宮仕えを勧められたほどの女性です。それを自ら断ったという経緯がある。小柄で弱々しくも見える空蝉ですが芯は強いのでしょう。女としての矜持をもって生きている。そんな空蝉に源氏は心惹かれます。源氏は空蝉の幼い弟・小君を従者にして女に和歌などを送るけれど返事がない。
懲りない源氏は「方塞り」の日が来るのを待ち、またもや方違えを口実に紀伊の守の家を訪れます。小君を使いにやりますが、女はどうしても会おうとしない。章は「帚木」から「空蝉」に変わります。物語はつづいています。その日の逢瀬も不首尾に終わり、源氏は館をあとにします。しばらく便りがないことに、女は安堵しながらもちょっと心残りに思っています。源氏のほうも、諦めようと思いながら諦めきれない。もう一度だけ逢える機会をつくってくれと小君をせっつく。
紀伊の守が任地に出かけて留守なのをいいことに、小君は源氏を館に招き入れます。女たちは碁を打っている。一人は空蝉らしい。もう一人は夫・伊予の介の先妻が残した娘、空蝉にとっては継子にあたる軒端の萩(西の対の娘)です。寝静まったところで源氏が忍んでいく場面です。
かかるけはひのいとかうばしくうち匂ふに、顔をもたげたるに、ひとへうちかけたる几帳の隙間に、暗けれど、うちみじろき寄るけはひいとしるし。あさましくおぼえて、ともかくも思ひ分かれず、やをら起き出でて、生絹なる単衣をひとつ着て、すべり出でにけり。
源氏の気配に気づいた空蝉は、小袿(夜着)を脱ぎ捨て、単衣一枚の姿で部屋から滑り出る。源氏は軒端の萩に言い寄ってから人違いと気づくが、「間違いでした」と言うわけにもいかず、「まあ、いいか」と彼女と契る。臨機応変というか許容範囲が広いというか。彼の手に残されたのは、脱ぎ置かれた薄衣ただ一枚だけだった。
空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな
この歌はいいなあ。蝉が脱皮するように、この薄衣ひとつを残してわたしのもとを去ったあの人、まだ恋しい、その人柄が。「人柄」に「殻」をかけているわけですね。
話は進んで、十六帖の「関屋」で空蝉は源氏と再会します。この短い帖で、空蝉は年老いた夫・伊予の介(常陸の介)と死別します。さらに継子にあたる伊予の守(河内の守)に言い寄られたことに嫌気がさして出家を決意します。尼になった空蝉を源氏が訪ねる場面が二十三帖の「初音」に出てきます。二人のあいだを20年の歳月が流れ、源氏は36歳になっています。空蝉は勤行にいそしみながらひっそりと暮らしている。
源氏の台詞。「常に、をりをり重ねて心まどはしたまひし世の報などを、仏にかしこまりきこゆるこそ苦しけれ。」ご覧のように原文には主語がまったくありません。「かしこまる(謝罪する)」の主語が誰なのか。源氏なのか空蝉なのか。訳者によって異同があるようです。本居宣長の『玉の小櫛』には「むくひは、空蝉に、心をまどはさしめしむくひ也」とあり、「報」はいまの源氏の悩みと解釈しています。したがって仏に詫びているのは源氏ということになります。谷崎はこの解釈を採って、「たびたびあなたに御迷惑をおかけした、あの時分の罪障などを、今更仏に懺悔するのも苦しいことです」と訳しています。
ところが円地文子訳では、「あの頃、幾度となく私を迷わせ辛い思いをおさせになった罪の報いを、今、仏に懺悔しておいでになるのを見るのもお気の毒に思います」となっている。つまり報いを受けて懺悔しているのは空蝉ということで、まったく逆の解釈をしているわけです。瀬戸内訳も「昔たびたびわたしにずいぶん冷たくして、心をかき乱させ辛い思いをさせた罪の報いを、今、仏に懺悔していらっしゃるのを見ているのこそ辛いことです」と、円地と同じ解釈をとっています。
ぼくは宣長の解釈に沿った谷崎訳のほうが断然いいと思うのですが、どうでしょう? 円地や瀬戸内の訳では、源氏はずいぶん嫌な男になってしまうんじゃないでしょうか。