もちろん『源氏物語』の時代といえども、やたら加持祈祷のようなことばかりやっていたわけではありません。律令制のもとでは、陰陽寮とか典薬寮といった機関が置かれていました。陰陽寮の技術官僚みたいな人たちは、陰陽道に基づく呪術を使って病気の治療にあたっていたようです。典薬寮というのは、現在の医師や薬剤師みたいなものでしょうか。当時は医師といっても薬師(くすし)ですからね、薬草を調合して与えるのが主だったでしょう。また鍼灸や按摩なども行っていたようです。「蛭食う」なんていうのもあって、これは蛭に腫物などの血を吸わせる療法だそうです。東洋医学では「瘀血(おけつ)」という言い方をしますよね。欧米で行われていた瀉血も同じ考え方なのでしょう。

 『源氏物語』の時代に話を戻すと、通常はまず陰陽師などが占いによって病気の原因を推定していたようです。そしてモノノケが疑われる場合に、治療者として僧が招じられることになる。実際にどんなことをしていたのか、「若菜」(下)で紫の上が患いつく場面を見てみましょう。ちなみに、この「若菜」上下巻は、源氏のもとへの女三の宮の降嫁、それに伴う紫の上の憂愁、柏木と女三の宮の密通、懐妊、密通の露見など、いろんな事件がつぎつぎに起こり、いわば悲劇のクライマックスをなします。昔から五十四帖のなかでも、もっとも面白いと評され、絶賛されてきたものですが、どうなんでしょう? とにかく重い、暗い、深刻。とくに中年になった光源氏は、この巻あたりから、まるで別人のように魅力のない人間になります(個人的な意見です)。というわけで、ぼくとしては、ちょっとツライところでもあります。

 さて、37歳の厄年を迎えた紫の上は、女三の宮の降嫁などもあって、しきりに出家を願い出ますが、源氏はこれを許しません。そのうちに紫の上は病気になってしまいます。ある夜、源氏が加減のすぐれない女三の宮のところへ行っているところへ、紫の上が亡くなったという報せが届きます。慌てて紫の上がいる二条の院へ取って返すと、すでに僧たちは病気平癒の祈祷のための檀を壊して退出しはじめている。院では紫の上に仕えていた女房たちが泣き騒いでいる。そうした様子を見て、源氏も「亡くなったのか」と落胆します。こんなことになったのも物の怪のせいに違いない、と思い大がかりな加持をさせます。すると……。

 月ごろさらにあらはれ出で来ぬ物の怪、小さき童に移りて呼ばひののしるほどに、やうやう生き出でたまふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる。

 紫の上が病気になってから何ヵ月か経っています。その間、一向にあらわれなかった物の怪が、ついに正体をあらわします。「小さき童に移りて」というのは、いわゆる憑坐(よりまし)、いまの言葉でいえば霊媒のことでしょう。あらかじめ験者が連れてきて、僧の近くに据えられている場合と、偶然近くにいる女房や女童に憑依する場合があったようです。いずれにしても物の怪が他者に憑依すると、それに伴って病人の容態が良くなったり、ときには蘇生したりすると考えられていました。このときも紫の上は息を吹き返して(「やうやう生き出でたまふに」)小康を得ます。だから源氏は「やっぱり物の怪のせいだったのか」と思って、「うれしくもゆゆしくも思し騒がる」(うれしくも、また忌まわしくも心が乱れる)のです。

 このあと調伏された物の怪が、源氏と二人きりにしてくれと言って、他の者を退出させると、自分の素性を明かしはじめます。物の怪の正体は、じつは六条の御息所の死霊だったのです。自分はあなたへの愛執が強すぎて成仏できずにいる。それなのにあなたは……というわけで、源氏に向かってかなり長い恨みごとを言います。
 注意したいのは、御息所の言葉を喋っているのは、物の怪が憑依した女童だということです。たまたま憑坐として連れてこられた女の子ですから、詳しい事情を知っているはずはありません。そんな女の子が、当人に成り代わって恨み辛みを述べ立てるっていうのは、どういうことなんでしょう? もちろんフィクションですから、物語的な虚構は入っているのでしょうが、似たようなことはあったのだと思います。加持祈祷の記述は紫式部の日記にも出てきます。そうした身のまわりの出来事をふまえて、作者は「葵」や「若菜」などの物の怪のシーンを書いたわけですね。

 当時の宮中(とくに後宮)が、いかに閉ざされた狭い世界だったかということを思わずにはいられません。誰と誰がどういう関係であるか、どういう確執や痴情のもつれがあるか、天皇や中宮に仕える女房たちは細かく知っていたことでしょう。寄ると触ると情報を交換し、うわさ話に花を咲かせていたのかもしれません。それを小耳に挟んだ女童が、加持という異様な場所で一種のトランス状態になって、無意識に記憶していたことを口走る、ということは考えられないでしょうか?
 物の怪を調伏する手段は、主に祈祷(読経)と護摩ですが、その際、護摩木と一緒にいろんなものが投じられます。なかには附子(トリカブト)や罌粟など、麻薬系の毒物も含まれていたようですから、その煙を吸ってトリップするなんてことも、あったかもしれませんね。

 余談ですが、『源氏物語』を典拠とした「葵上」という能があります。能楽で使われる鬼の面は「鬼神」といって、邪悪なものというよりは、超人的な力を表現しているそうですが、これが怨霊になると「般若」になって、より暗い情念とか怨恨を感じさせます。女性の場合が多かったようで、葵の上に襲いかかる六条の御息所の怨霊は、まさにこの般若面をつけています。装束は「鱗文」といって、嫉妬に狂い鬼と化した女を象徴するものだそうです。いやはや。
 『源氏物語』にかぎらず、「物の怪」というのは本来姿が見えません。正体不明だから「物の怪」なのでしょう。これが調伏されて正体をあらわす。声や表情が一瞬、誰か思い当たる人の者になる。そこではじめて「物の怪」の正体がわかるわけです。しかし能楽の場合は、舞台で演じられる芸能なので、観客に何が起こっているのかわからなければならない。そこで鬼の面やそれらしい装束が使われたのでしょうね。

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投稿者: 片山 恭一

ぼくらラボ設立者 小説家。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。2001年4月に出版された「世界の中心で、愛をさけぶ」が若者から圧倒的な支持を得、文芸書としては異例のロングセラーとなる。

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